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2008年9月

2008/09/28

大決戦!超ウルトラ8兄弟 舞台挨拶 9月15日MOVIX京都

Ultraman00_2大決戦!超ウルトラ8兄弟』9月15日の舞台挨拶のチケットがとれたので行ってきました。一生に一度見られるかどうかという信じられえないほど豪華なラインナップで、取った直後に完売となってしまいました。

本編は、とにかく理屈抜きで楽しむお祭り映画という感じで、ストーリーなんか二の次でしたが、40代以上にしかわからないネタ満載で、大人が大爆笑したり、「おーーー!!」と歓声を上げたりするのに、子供はキョトンとしているといった感じでした。

平成ウルトラマン4人(主演はV6の人)はメビウス以外見ていなかった時期のもので、人間関係などさっぱりわからなかったですが、なかなか良い演技をしていました。

やはりウルトラマンの昭和41年の初回放送の「タケダタケダタケダ~」の武田薬品のCMを流したところでツカミはOKという感じ。
初代4人のウルトラマン役に加えて4人のヒロインも夫婦役で出演するというあり得ない設定。そのうち3組は実子が子供役で出演していたり・・・。ゲスト出演者も豪華で、「ウルトラQ」の淳ちゃんは本人役で、一平君も怪獣に襲われる老人役で、「ウルトラマン」のイデ隊員も駄菓子屋のオヤジで登場。「帰ってきた~」の坂田モータースに岸田森の写真があったり(涙)、あいかわらず郷さんが流星1号を作っていたり。

前に座っていた親子連れは、5歳くらいの娘さんが途中でぐずりだして、トイレ~って泣き出しているのに、お父さんが頑として連れていこうとせず、「今いいところなんだからガマンしなさい!」と20分くらい引っ張った挙句、「子供なんか連れてくるんじゃなかった!」と仕方なく席を立って連れ出していきました・・・・・。すみません、後半ネタです。

結構いい加減なストーリーだったけど、ウルトラ遺伝子が幼少から染み付いている世代としては、ちょっと感動してしまって心の中のウルトラマンが呼び起こされた感じで映画は終了。いよいよ舞台挨拶です。

Ultraman01円谷プロの進行役のおねーさんのMCで夢のような8人が登場。上手から黒部進さん、桜井浩子さん、森次晃嗣さん、ひし美ゆり子さん、団時朗さん、榊原ルミさん、高峰圭二さん、星光子さんの順番で立って、順番に挨拶しました。もうなんというか頭が真っ白になって何を喋ったか覚えてないほどなんですが、桜井浩子さんと同じ空間の空気を吸えただけで、生きてた甲斐がありました

京都出身だという団時朗さんのMCの時には「郷さーん!!」という歓声がオヤジ達から沸きあがり、ドラマの面白さがわかりつつあった小学校2年生位のころ、一番想い入れをもって見ていた「俺達のウルトラマン」が「帰ってきたウルトラマン」だった私の世代なんだなーと思いつつ、自分も「郷さーーーん!!」と叫んでしまったり・・・。芸能界を引退後住んでいたアメリカから帰国して出演した榊原ルミさんにも涙。

北斗星司(高峰圭二さん)と、南夕子(星光子さん)が生ウルトラタッチをやってくれた時は、オヤジ達が「ウォォォーーー!!!」と大歓声を上げたりして、子供はドン引きしてました・・・。

Ultraman02あっという間に舞台挨拶が終わり、ロビーに平成ウルトラマンの着ぐるみが2人いて握手会をやっており、やっと子供のお楽しみタイムとなってました。例によって私は8歳の頃のようにパンフレットにロビーにあったウルトラ記念スタンプを押してから退場。

外は小雨が降っていたが、大勢の人がマイクロバスに乗る8人を出待ちしており、私も20分ほど待機して、無事見送りをしてから帰途についたのでした。

http://blog.hicbc.com/blog/ultra8/archives/2008/09/15/

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2008/09/18

追悼 Rick Wright

RickmainPink Floydのキーボード・プレーヤーだったリック・ライトが9月15日に癌で死亡したとのニュースに立ち直れないほどショックを受けて数日呆然としていた。近年、好きなロック・ミュージシャンが続けて亡くなりはじめているが、今回ばかりは思いいれの大きすぎる人だったので、ショックが大きすぎた。正直、一昨年のシド・バレットの死去よりもショックは大きかった。

一昨年のデヴィッド・ギルモアのソロ・ツアーにもメイン・メンバーとして参加して、キーボード&ボーカルで衰えを見せない腕前を披露していただけに、こんなに早く亡くなってしまうとは夢にも思わなかった。

Brokenchina00ピンク・フロイドの中では1番好きなメンバーで、1996年発表のセカンド・ソロ・アルバム"Broken China"は人生のベスト20に入るくらい好きな作品である。当時ドイツ滞在中に発売され、ドイツからポーランドに向かう列車の中で、外の雪景色を見ながら聴いて、あまりに風景とマッチしてトリップしてしまったほどだった。これほど荒涼とした世界に連れていってくれる音楽は数少ない。

ピンク・フロイドを初めて知った、中学3年生時の最新アルバムは"Animals"だったのだが、友人にレコードを同時に借りて最初に聴いたのは1968年発表のセカンド・アルバム、"A Saucerful Of Secrets"(神秘)だった。サイケデリック初体験というか、全面的にフューチャーされているリックの変音階のオルガン・サウンドに心から魅せられてしまった。今でもフロイドの全作品の中で一番想い入れのあるアルバムである。

高校生になって溜まった貯金でオルガンを買って、独学でよくリックの音階のマネをして悦に入っていた。

中学~高校生というと、経済的に聴きたいアルバムをすぐに聴けるという状態ではなく、友人に借りたり、FMでオン・エアされるのを聴いたり、小遣いを貯めたりして、地道に聴いていくしかなく、結局オリジナル・アルバムは
神秘 → アニマルズ → 狂気 → 原子心母 → 炎(あなたがここにいてほしい) → ザ・ウォール → 夜明けの口笛吹き → ウマグマ → おせっかい → モア → 雲の影
というヘンな順序で聴いてしまった。

神秘の全ての曲は言うまでもなく、ファースト収録の『マチルダ・マザー』の変音階のオルガン・ソロ、『原子心母』のタイトル曲のオルガン、『おせっかい』B面の『エコーズ』のイントロのプリペイド・ピアノ、『狂気』A面の『タイム』のサビの少年のようなボーカル、あの奇跡の『虚空のスキャット』、『炎』のオープニングの『狂ったダイヤモンド』のイントロのシンセサイザーなど全てリックの貢献なしには成り立たなかった名作である。

ライブが1枚と、もう1枚にメンバーのソロ作品をAB面に2分の1づつ収めた1969年の変則2枚組アルバム『ウマグマ』のリックのソロ・パート、『シシファス組曲』はシーシュポスの神話をもとにして作られたもので、最後のガーーンという大きなクラスターサウンドが恐怖映画のサントラのように本当に怖くて、滅多に聴けなかった。

リアルタイムでリリースされた初のアルバムは1979年の"The Wall"(1980年の正月にお年玉で買った)だったが、その頃はロジャー・ウォーターズとの確執からバンドから干された状態にあったとは全く知らなかった。1983年のロジャーのソロ・アルバム的存在の"The Final Cut"では遂にバンドから解雇されてしまっており、当時本当に残念に思った。

1987年にデヴィッド・ギルモアを中心に再結成されたロジャー抜きのピンク・フロイドの新作、"A Momentary Lapse Of Reason"『鬱』では、ゲスト・ミュージシャン扱いで、数曲ちょっとシンセを弾いていただけだったが、リックの復活は本当に嬉しかった。

Pinkfloydそして1988年の来日公演。3月2日の武道館初日をどうしても見たくなって、当時勤めていた会社で東京出張を無理やりに入れて、仕事は15分で終わらせ、当日券を買うために雨の中を並んだ。座席は正面2Fの上から3段目で、肉眼ではリックが確認できず、アルバムではゲスト扱いだったリックが本当に来日メンバーに入っているのかわからない状態だったのだが、打ち上げの飲み会で前で見ていた友人が、リックがちゃんといたことを教えてくれた。大阪城ホールの2日間も遠い席からの観賞だったが、ライブは本当に素晴らしく、興奮と感動の渦とはこんな状態のことなんだなと思った。

1994年の復活フロイドの2作目"The Division Bell"(対)は、バンドとしてのフロイドの本格的な復活作で、前作がギルモアのソロ・プロジェクトだったのに対して、リックのメンバーとしての貢献度も非常に大きいものとなった。オープニングの"Cluster One"のイントロのピアノ、インスト曲"Marooned"のデイヴとのコンビネーション、久々にソロとしてボーカルをとった"Wearing The Inside Out"など。リックをミュージシャンとして復帰させたデヴィッド・ギルモアの献身には心から感謝したい。

94~95年のワールド・ツアーは規模が巨大すぎて来日公演もなく、見ることはできなかったが、膨大なブートレッグCDやビデオで圧倒的な全貌を伺うことができた。

そしてツアー終了後の1996年にひっそりと発売されたリックのセカンドこそ、彼が本当にやってみたかったことだったのだと思った。1978年のファースト・ソロの"Wet Dream"も好きだが、なぜかセカンドほど想い入れはない。

2006年のデヴィッド・ギルモアのサード・ソロ・アルバム"On An Island"の発表を伴うツアーはフロイドに比べると遥かに小規模のキャパシティーの会場を回るものであったが、リックがメンバーとして加わり、ギターにフィル・マンザネラを加えたのと、ドラムがSteve DiStanislaoに変わった以外はフロイドの1994年のツアー・メンバーで固められた凄いラインナップで慣行された。キャパが小さいのでチケットの入手が難しく、見に行くことができなかったのが、本当に悔やまれる。

昨年発売されたライブDVD、"Remember That Night, Live At The Royal Albert Hall"(覇響)を見ると、リックが大活躍しており、フロイドのファーストの"Arnold Layne"や『対』の"Wearing The Inside Out"でもリード・ボーカルをとっている。メンバー紹介でもリックへの歓声が一番凄かった。ツアー・ドキュメンタリーを見ても、リックの人柄の良さ、そして調子が上がってききたときのリックが少々傲慢な態度をとることをデイヴィが面白おかしく解説しているのが微笑ましい。

10月に発売される、ポーランドのグダニスクでのステージを中心に収録された、デヴィッド・ギルモアの5枚組ライブ・アルバムを待って、追悼を続けたい。

フロイドのオフィシャル・サイト、デイヴのサイト、ロジャーのサイトでも追悼されているが、ロジャーは何も言葉はなく、ただ一面の蝋燭の火のみ。ロジャーらしいです。


http://www.pinkfloyd.co.uk/index.php
http://www.davidgilmour.com/
http://roger-waters.com/


追記 LIVE 8

LIVE 8のことをすっかり書き忘れてました。リックの死を知ってからすぐ、焼酎で泥酔してLIVE 8のDVDを見て、そのまま気絶してしまいました。

2005年7月2日に行われたLIVE 8にロジャー・ウォーターズを加えた4人でピンク・フロイドが出演すると聞いた時は耳を疑った。あそこまで泥沼のようにこじれて、裁判でも散々と争ったロジャーとデイヴの確執が解けることは、絶対にないと確信していたからである。実際にステージを見るまでは信じられなかった。

日本時間の翌3日の朝7時過ぎにインターネットのライブ中継で本当に4人でのライブが始まった瞬間の衝撃はいまだに忘れられない。絶対に起こりえないことが起こったのである。

その時はロジャーとデイヴのことで頭がいっぱいで、リックのことにまで気が回らなかった。リックは中継中ほとんど画面に映ることがなく、後に発売されたDVDにもほとんど映っていなかった。『マネー』の間奏で一瞬アップになる位で、まるで意図的に写さないようにしているかのようにアップ演奏は皆無に等しかった。

DVDのボーナス映像としてリハーサル風景が入っているが、そこでもリックはまるで他の3人に無視されているかのように存在感が薄かった。しかし、リックは万全の体制でライブに臨んでいたし、彼抜きでのピンク・フロイドは考えられなかった。ライブ終了後、ロジャーがデイヴを招き入れて4人で肩を組んで挨拶したが、リックもロジャーの肩をしっかりと組んでいた。かつて自分をバンドから追放した人間だというのに。この4人での演奏が21世紀に実現したことは、本当に奇跡としかいいようがなかった。

その奇跡は本当に1度限りのものとなってしまった。

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