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2011/01/07

KARAが素晴らしい件 Part2

Karaful01Karamusegallery01Karaseoultvファンになってほんの1ヶ月の若輩者の私が、日本デビュー以前から熱狂的にKARAを応援していた方たちに失礼にならないよう、冷静になるまで何も書かないでおこうと思っていましたが、全然冷静になれず、急遽2泊3日でソウルにDVDやグッズを買いに行ってしまったりして、KARAに対する想いはヒートアップしていくばかりで、メンバーのtwitterも翻訳ソフトでフォローしている状態。ちょっとひと段落つけないと何も書き残せないかなと思い、ちょっとだけこの1ヶ月で自分が感じたことなどを残しておきたいと思います。

この1ヶ月繰り返し見まくったビデオが3枚組DVD-BOXの"KARAFUL"収録の『KARベーカリー』、『ニコルのキャンパスライフ』と、同じく3枚組DVD-BOXの"SWEET MUSE GALLERY"収録の"2010 1st SHOWCASE in Tokyo"、 "KARA IN TOKYO SPECIAL"。

特に2010年2月4日~8日の日本デビュー前夜を生々しく収録した初来日ドキュメント "KARA IN TOKYO SPECIAL"は本当に素晴らしくて、入手してから見なかった日のほうが少ない状態です。もうメンバーの喋る韓国語もいくらか暗記できてしまったほど。

・羽田空港到着直後に大勢のファンの熱烈な歓迎を受けて驚くメンバー。

・日本で和食(カレー、牛丼、ラーメン、お稲荷さん)を食べたり、街でショッピングしたり記念写真を撮ったりするのが夢だと語るメンバー。

・居酒屋で念願の日本食を食べれらて満足なメンバーをハンディカメラで撮るジヨン。

・翌朝ホテルでオンニ2人の部屋にハンディカメラで突撃レポートするジヨン。遅くまで電子辞書で日本語を勉強していた形跡のあるギュリ。

・8時間ぶっとおしのメディア・インタビューを短い休憩でヨーグルトやキムチを食べつつ精力的にこなすメンバー。

・遂にやってきた赤坂BLITZでのショーケース当日の開場前のファンの熱狂。舞台裏でひたすら緊張するメンバー。

・1,500人のうちの大部分が女性客で、悲鳴のような歓声のなか"Honey"で始まるライブ。圧倒されるメンバー。

・他の3人が挨拶と暗記したいくつかの言い回し程度しかできないのに比較して、完璧にプロフェッショナルな訛りのない日本語のMCをこなすスンヨンとギュリ。

・日本語ヴァージョンが出る6ヶ月前に披露された『ミスター』。

・第1部終了後の感想で、喋りたかったことをうまく言えなかったことを悔やむギュリとスンヨン、ダンスを間違えたことを悔やむニコル、ただ暑かったというハラ。ファンに渡すチョコレートを床に落としてしまったことだけを悔やみ、でも楽しかったと満面の笑みのジヨン。それぞれの個性が出ているシーン。

・第2部に一般客としてやってきた劇団ひとりを称える観客の拍手。楽屋でせめてものプレゼントとしてサイン入りCDを作るメンバー。

・第2部終了後のメンバーの喪失感。お互いに称えあるオンニのギュリとスンヨン。

・翌日の帰国前に念願の原宿・渋谷でのショッピングに舞い上がるメンバー。もう数日予定なく滞在し、地下鉄に乗りたいというハラ。お猿と温泉に入りたいというスンヨン。

・韓国でもやったことのないショーケースを日本でこなすことができたことに現実感が湧かないスンヨン。また日本に来ることができたらどんなにいいかを語るメンバー。さりげなく韓国のファンへの気遣い発言をするギュリ。感動の余韻を残して終了。

これがわずか10ヶ月前。この時のメンバーに今のメンバーがタイムマシーンで会いに行って、『あなたたちは10ヶ月後には日本語で25万枚のCD を売って、無数の雑誌の表紙を飾って、日本語でバラエティーに出まくって、日本のドラマに主演しているのよ。」と言ったら、この時のメンバーはどう答えるだろうか。
ショーケースの中で言ってたように
「当然ですよー」(ギュリ)か、「まさか!信じられません!」(ジヨン)か。


『KARAベーカリー』と『ニコルのキャンパスライフ』はどちらもバラエティーで、演出過剰なハーフ・ドキュメンタリーという感じだが、最高に笑えてメンバーのキャラクターが存分に発揮されている。ほぼ同時進行で製作された番組のよう。

『KARAベーカリー』はほぼニコルを除く4人で撮影。KARAがパン屋を開業資金調達から始める話で、途中でギャグ番組になってしまう。特にスンヨンが最高におもしろくて、さすがは下済み時代にバラエティに出まくってKARAの知名度を維持しただけのことはある。最高に笑えたギュリの「トイレの女神様」ポスターを自宅のトイレ前にも1枚貼りたいと思っているファンは多いはず・・・。

『ニコルの~』はニコルが大学の獣医学科に短期入学し、孤軍奮闘する内容。アメリカ育ちで韓国語の難しい単語は判らず、韓国の常識も知らないニコルのズレた感覚が日本人から見ても新鮮。

"KARA IN TOKYO SPECIAL"でもホテルの部屋が他のメンバーは2人づつの相部屋だったのに対し、ニコルは1人部屋。他のいろいろなシーンでもニコルは1人でいるほうが落ち着くように見えて、メンバーもそれを理解しているよう。

ニコルは男性から見てもやはり特別な感じがして、いい例えではないが、スパイスガールズだけでも、十分に豪華なグループなのに、そこに全盛期のケイト・ブッシュというニコルがメンバーとしているような感じ。ケイト・ブッシュというよりは、ジャネット・ジャクソンとかカイリー・ミノーグのほうが近いか。古い例えしかできなくて申し訳ないです・・・。


KARAがわずか10ヶ月で日本の音楽シーンを席巻してしまったのは、所属事務所の計算し尽くされたマーケティング・リサーチと日本のメディアに対する戦略の賜物なのは事実ですが、それ以前に何よりもメンバーの5人の好感度によるものだということは万人が認めるところでしょう。確かにヒップダンスのみがクローズアップされて、それだけで売れてしまった部分もあるかもしれませんが。

日本滞在中のほんの数日のうちに、ほんとうにどうでもいいようなものまで含めて、数え切れないほどのバラエティー番組に出まくり、何でも体当たりでひたむきにこなせる「生活型」を強く印象づけています。韓国での長年のバラエティー出演で鍛えられた実力が発揮された結果でしょう。誰もが歌っているときのカッコ良さとのギャップに感動してしまうのではないでしょうか。

個人的には15年以上待って、「遂に楽園が復活した」という感動が一番大きかったです。
最初は"Lupin"のカッコ良さに圧倒されて好きになったのが、"Rock U"、"Wait","Honey"、"Pretty Girl"、"Take A Bow"、"Aha"、"Umbrella"、"Binks"などのアイドル歌謡の王道路線を5人でやっているグループが復活したことの意義が大きかったのでした。

今となっては大きすぎる存在となってしまったKARAをなぜ3年も無視していたのか、日本デビューして4ヶ月もノーマークでいたのか。自分の音楽を聴き定める力の無さが恥ずかしい限りです。なぜ2月7日にあの会場にいることができなかったのか。後悔先に立たずです。ギュリ女神が金髪にしなかったら、ずっとKARAのことを知らないまま終わっていたかもしれません。

今からでも精一杯ファンでありたいと思っています。
寝る暇もない程多忙なメンバーの健康を心から祈りたいです。

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コメント

KARA分裂ですか?(><)

投稿: 猫太郎 | 2011/01/20 23:02

>猫太郎さん

KARAの母親達と事務所が揉めていて、メンバーはそれに巻き込まれた感じです。

リーダーのギュリは母親が同じ事務所の声優なので、事務所離脱の声をかけられず、何も知らされないまま1人取り残された状態でした。

現在病床にある事務所社長に下積み時代からいろいろ恩義のあるハラが、親が声明を出した離脱を撤回したので3対2に割れてしまったように見えます。

実際、めちゃくちゃなスケジュールで韓国と日本を往復する日々だったので、日本ではほとんど寝る暇もなく、ホテルまで戻る時間がなくてサウナで寝さされたこともあったそうで、それで親の怒りが爆発したようです。あらゆる面でメンバー達も限界だったのかもしれません。

爆発的に売れたのに、給料があまりにも少ないことも要因だった模様。加えて以前からも質の悪い仕事も無断でどんどん入れてくることでいろいろ揉めていたとのこと。

メンバー自体には何の落ち度もなく、本当の姉妹以上に堅い絆で結ばれているので、本当に可哀想です。

夢を売る仕事のアイドルが教訓として残したのが、「この世には夢も希望もない。シビアすぎる現実があるだけ」とは・・・。

投稿: tangerine | 2011/01/22 01:11

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