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2015/01/28

追悼 Edgar Froese (Tangerine Dream) 1944-2015

Edgarfroeseizu01

1970年のレコード・デビューから45年のキャリアを持つドイツの音楽グループで最初期からのエレクトロニクス・ミュージックのパイオニアであるTangerine Dream(タンジェリン・ドリーム)の創始者であり唯一のオリジナル・メンバー、Edgar Froese(エドガー・フローゼ)が1月20日に自宅のあるウィーンで急逝したとのこと。死因は静脈血栓塞栓症で享年70歳。

私のネットでのハンドル名tangerineはこのTangerine Dreamからとったくらいのファンで、ショックで言葉が出ませんでした。

訃報が発表されたのは日本時間の1月24日の未明で、その前日まさにタンジェリン・ドリームの2011年からのメンバーでヴァイオリニスト山根星子さんのソロ・プロジェクト"Tukico"を大阪 阿波座のnu thingsで鑑賞したところでした。ライブはPCでのループ音にヴァイオリンでのインプロヴィセーションを重ねていくという心地よいものでタンジェリン・ドリームの音楽の発展系が日本人のメンバーによってここにも息づいているという感動的な内容でした。

Tsukico01

ライブ終了後に山根さんと少し会えたのですが、次のツアーのことなども話しておられ、この時点では訃報を知らなかったようです。

去年11月20日のオースラリア・ツアーのメルボルンのACMI Melbourneでの"SORCERER"(恐怖の報酬)のサウンドトラック再現を中心とする内容のコンサートがエドガー・フローゼのタンジェリン・ドリームとしての最後となりました。

Kraftwerk, Cluster, Klaus Schulzeらと共にジャーマン・エレクトロニクス・ミュージックの黎明期を築いたミュージシャンで「電子音楽」というものが一般的でなかった70年代初頭において当時は値段が車1台分もしたシンセサイザーという未知の楽器を全面的に押し出して作曲やライブ活動を展開し、ワールドワイドに成功した最初のグループ。

クラフトワークの『アウトバーン』とタンジェリン・ドリームの『フェードラ』が共に1974年に世界的ヒットとなったのも象徴的です。

エドガー・フローゼ自身はギタリスト出身でジミ・ヘンドリクスのフィードバックのようなドローンなインプロヴィセーションを得意としていたようで、電子音楽になっても「混沌」と「静寂」を表現する不安定さが所期タンジェリンの特徴となっていました。それは図らずも「二度と同じ音が作れない」当時のアナログ電子楽器の電圧的にチューニング不安定な構造と、シンプルで力強いシーケンサーのパターンの絶妙な組み合わせが醸し出すマジックだったと感じます。

ただエドガー・フローゼ本人は「思った音の出ない」当時のアナログ機材に不満もあったようで、デジタル時代になってからの膨大な作品量は自分の表現を具体化するのにテクノロジーが追いついたというのもあったかもしれません。しかしそれらの作品のなかにもタンジェリン独特のメロディーにならない「音響」が存在していてそれが幾度のメンバー・チェンジを重ねようとグループのアイデンティティーとなりうるものだったと思います。

以前のブログでも書きましたが初めてリアルタイムで聴いたのが、1977年の映画『恐怖の報酬』(Sorcerer)のサウンドトラックのテーマ曲『裏切り』(Betrayal)で、NHK-FMの映画音楽番組でかかったものでしたが、あまりのカッコ良さにエアチェックしたテープを繰り返し聴きました。

個人的には1972年のサード・アルバム"ZEIT"(ツァイト)が一番好きで、人生で重要な10枚に挙げているほど聴きまくったアルバム。一時期は眠れない夜に毎日聴いていました。リズム無し、メロディ無しで、ひたすら混沌とした音響が続く2枚組レコード。ただ唯一聴き易い部分が1曲目でゲストのPopol VuhのFlorian Frickeが演奏するモーグ・シンセサイザーの旋律だけ。

Zeit01

タンジェリン・ドリームを見たのは下記の4回。それぞれのレポートは過去のブログに書いています。
1983年6月28日 大阪 フェスティバルホール
2008年7月18日 ドイツ Loreley, Prog Fes
2009年9月5日 伊豆 Metamorphose09
2012年5月10日 ドイツ Berlin, Admiralspalast

2009年の伊豆METAMORPHOSEのライブDVDボーナス映像に現地サイン会でエドガー・フローゼと握手する満面の笑みの自分の姿が映っていて喜んだのでした。

Withedgar2009

手持ちのタンジェリン・ドリームのCDを整理してみると約130枚。膨大なディスコグラフィーで廃盤も多く不所持ものも多いです。近年の自主レーベルからのリリースは多すぎてフォローできず。

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エドガー・フローゼのソロ。タンジェリン・ドリームと比べて聴き込みが足りませんでしたがやはりaquaとepsilon in malaysian paleが好きです。

Edgarfroesesolo01

エドガー・フローゼの不在はエレクトロニクス・ミュージック全体において大きすぎる喪失ですが20人以上のメンバーが在籍したタンジェリン・ドリームの音楽はそれぞれのメンバーとフォロワー達の中で大きな遺産として受け継がれていくと思います。

公式な訃報にも書かれていたエドガーの言葉は素敵すぎて安らげます。

"There is no death, there is just a change of our cosmic address."
 
 
山根星子さんの追悼文
http://www.hoshikoyamane.com/%E8%BF%BD%E6%82%BCedgar-froese/

冒頭の写真は2009年の伊豆メタモルフォーゼ公演で自分が撮ったエドガーです。

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コメント

ご冥福お祈りいたします。

投稿: 伊藤@愛媛 | 2015/01/30 01:09

>伊藤@愛媛さん

ありがとうございます。ロック音楽の第一世代がどんどん亡くなっていく時期に来ていて哀しいです。

投稿: tangerine | 2015/01/30 19:19

私も恐怖の報酬にノックアウトされました。タンジェリンさんのようにここまでのめり込みませんでしたが、プログレにさらにのめり込むきっかけにはなりました。偉大なミュージシャンが次々と鬼籍に入っていく昨今が残念です。でも残された作品は永遠に輝くでしょうね!

投稿: kevin kazuki | 2015/01/30 21:21

思い入れのあるミュージシャンが亡くなるのは本当に辛いですね・・・。
私もコージー・パウエルが亡くなった時は結構凹みました。

ご冥福をお祈りいたします。

投稿: himajinmetal | 2015/01/31 19:39

>kevin kazukiさん

やはり映画音楽は世界的に配給されるので「恐怖の報酬」が日本の一般層に紹介されるきっかけになったんでしょうね。不気味なシーケンサーの反復音は1回聴いたら忘れられませんでした。

長老ミュージシャンの皆さんはぜひ長生きしてほしいと切に願います。

投稿: tangerine | 2015/02/01 12:20

>himajinmetalさん

コージーを最後に見たのはブライアン・メイのソロ初来日で、コージーもほぼ最後のレコーディングがイングヴェイのFacing the Animalとブライアン・メイのAnother Worldでした。

タンジェリン・ドリームもブライアン・メイとStarmusという作品で近年共演しており、因縁のようなものを感じます。

共演のライブ映像がyoutubeにありました。
https://www.youtube.com/watch?v=aHn48Sqnpzw

投稿: tangerine | 2015/02/01 12:27

私は89年ブラック・サバス(アイオミ、パウエル、マーレイ、マーティン)
の来日公演で見たのが最後でした。この頃はアイオミ以外のメンバーが
とても流動的でアイオミ+サポートメンバー的な感じでコージーの
ドラムソロが無くてとても残念だったのを思い出しました。

コージーが亡くなって4月で丸17年か・・・。早いな・・・。

投稿: himajinmetal | 2015/02/01 18:05

>himajinmetalさん

89年といえばHeadless Crossの頃ですね。あのアルバムにもブライアン・メイがゲスト参加していますね。パウエル&マーレイ組はスーパーロック84のホワイトスネイクで見ましたね。この時のドラムソロはホルストの「火星」でその後エマーソン・レイク&パウエルのアルバムで正式にレコーディングされライブでも披露されましたが93年にブライアン・メイを見たときは「1812年」に戻ってました。

好きなミュージシャンは見られるチャンスがうちにためらわずに見ておくべきだと実感しております。

投稿: tangerine | 2015/02/01 19:54

"タンジェリン・ドリーム"との音楽的な付き合いは、16歳(高校生・・)からで、とっても長いためか(?)数年前から、ここ最近の(日本/伊豆)への来日時、ベルリン・ライブ(等)での様子から、フローゼ氏は、年齢が年齢だし(決して年寄り扱いはしていませんよ~。)・・バンドとして2014'は、(ツアーの年で)多忙であったりして、健康面で、とても心配をしていました。又、CDのみが続いて(でも、その頃って執筆活動=自署伝 手がけてたのねっ)・ライヴアルバムの(演奏の時も)作りが、ちょっと変に感じたのは、私だけでしょうか・・?亡くなられる直前まで音楽活動をされて(・・TVゲームのサントラ「グランド・セント・オートV」手がけてたし・・。)
2015年にはいって、数ヶ月間何の情報のないまま、時間が過ぎてしまい、フローゼ氏の訃報を聞いたのは、ホント、最近です。・さすがに、ショック!!で落ち込んでしまい、今も少し、心の動揺が隠しきれていませんが、ま、もうちょっと時間が経てば落ち着いてくるとは思います・・しかしながら、こんなにも、TANGERIN DREAMが好きになってしまった私です。(感性の共通点か?)"TANGERIN DREAM/EDGER FROESE” の、今までの音楽の歴史は(音楽は)なくなるわけはありません。これからも・・それは、永遠で・・ファンや音楽関係者などの・・その心に刻まれ、次の世代に引き継がれることと思います。
E・フローゼ氏へ 心からのご冥福をお祈り致します。
・・追伸・・現在、TANDERINE DREAM は活動休止中・・という・・切に、復活を願います。

投稿: T・WEST | 2015/04/19 03:52

>T・WESTさん

コメントありがとうございます。返信が大幅に遅れてしまい申し訳ありません。

高齢とはいえ引退せず亡くなる直前までライブ活動をしていたフローゼ氏の精力には感服しておりました。それだけに急な訃報はショックでした。

タンジェリン・ドリームのオフィシャル・サイトのメーリングリストによると残ったメンバーに加え、全盛期のメンバーであるピーター・バウマンも参加したトリビュート・プロジェクトが進行中とのことで、楽しみに待ちたいと思います。

フランク・ザッパのように死後も膨大なアルバムやライブがリリースされつづける予感がします。

投稿: tangerine | 2015/05/04 09:46

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